この気持ちを創作意欲といってもいいのだろうか。
昨日十分に寝たせいで朝早くに目が覚め、
やりたいこともなく朝からパソコンに向かいAPEXをしていた。
好きだからしているのかと聞かれると、そういうわけでもなく、
趣味を聞かれたときにもゲームなどと言えないレベルである。
ただ無意味にゲームをし時間を溶かすことの虚無さをなくすために
何か制作したものを残すために、ここに日記のように記事を書いているわけである。
ゲームをしていることが無意味であるとは言わないが、
自分の理想とする時間の使い方ではないため
そうかんじてしまうのだ。
私はツイッターをやめ自分の考えたことをここを使いもっと小規模にしか発信しなくなった。
人とのつながりは失われたが、自分の理想とする人間に近いのは
こうやって考えを残している人間であると感じるとこができ、うれしさもあるが
寂しさもある。
ツイッターを通じて人と関わることはコミュニティが現実からネットに移っただけであり、結局は現実と同じくらい疲れてしまうのである。
これから友達と呼べる人間が学生の時のように増えていくこともないし
自分の老いも含めてできるだけ楽しい人生を送るために
多くの人間とかかわりたいと思う気持ちもあるが
これは他人がそう(多くの人とかかわることで充実した人生が送れること)
感じているからそう思うだけで実際自分は
そうではないのかもしれない。
仙人のような暮らしが向いているのかもしれないと
自分がわからなくなることがある。