なんだって限界が決まっている

もうすぐ甲子園野球の時期だ。

 

野球にまつわる逸話で、ピッチャーは人生に投げられる豪速球の数は決まっているという話がある。

 

これは軟骨が擦り減ったり様々な要因で肩がダメになっていくのだけど、その磨耗具合が大体計算できるからで、技術が発展する事で今まで分からなかったことが数字で表せるようになっていたりするんだよね。

 

自分の中では青天井に思われていたことでもこのようにおおまかに上限が決まって何しても関係ないってのがなんか恐ろしいんだよね。

 

自分が知らないだけで今現在も進行形で何かを磨耗しているかもしれないし、体はそうだと言えるだろう。

 

なんだって数字で表そうとする取り組みはいいことだけど、なんか圧倒的閉塞感というか、明日死ぬとわかっているのに頑張るか?みたいな感じしちゃうのってなんか嫌だよね。

 

限界ないってそう信じたいよね。

 

無限に生きれると思い続けることで努力できたりってあるからさ〜

 

ほんじつはこれにてしまい