歳をとるほど誕生日がうれしくなくなるなんてことは当たり前だ。
とはいえ祝ってくれる人の前で嬉しくないなんていうべきではないし
祝ってくれる人に感謝しながら今日という日の
ハッピーをシェアしてみんなで楽しく過ごすのが一番であると
私は考えていたのだが
私を生み出した母親という生き物は
誕生日に私の食べたいものを買ってきて提供するまでは良かったが
その後食事にあまり手をつけず
ケーキだけをむしゃむしゃと食べ、
「晩御飯の中で一番食べたんじゃない?」
といった。
食べたいものがなかったのか宗教上の理由で食べることができなかったのか
知らないが他人の誕生日に私の好きなものはなかったから食べることができなかった
みたいな雰囲気を出しそんなことを言うなんて
あまりにもシェアハピの精神が足りてないのではないかと。
私は母親のことが心底嫌いになったし、
上下関係などを学ばずに育つとこんな振る舞いができるのかと
感心した。
私がマグロを食べたいといったので祖母は食べ切れないほどのマグロを買ってくれたが
それにも文句をつけ、
出された飲み物にも吐きそうだと
こんな人間と楽しい時間を共有するのは
あほらしいと本当に悲しい気持ちになった。
母は亡くなった祖父と個人的な一時の感情で10年間口を聞いていなかったのにもかかわらず葬式では過呼吸のようになってみたり人一倍泣いてみたり
あまりにも他と違いすぎている。
私がここまで育った環境に感謝はするが
この人には全く感謝もしたくないし
恩返しなんてそんなもの存在しない。
わかり合おうだなんて考えるのが
嫌だとそう感じた一日でした。