他者と生きる社会というもの

人からの好意が気持ち悪か感じる。

 

異性からの好意だと尚のことだが、好意というのは気持ちが悪い。

 

その人がということではなく、それに対して意識し、行為を受けた上で自分をより良く見せようとする自分に嫌気が差すのだ。

 

他人の目というのは自分を変えるきっかけとなるが、それで変わってしまう自分の軸のブレやすさはあまりいいと思えるものではない。

 

異性にモテようとする人ほど大きな人間になろうとする。

 

多分、それにはそれだけ価値があるのだろう。

 

私が私らしくあるためには他人は介在せず、自分と心の問題であると私は考えている。

 

子という形で後世に自分の生きた証を残すのがいいことだと考える人間もいれば、それ以外の形でその願望を成し遂げようとする人間もいる。

 

遺伝子は子を残すことでそうしようとさせるが、私は他者と生きることがうまく出来ず、日記という形など、自己満でいいと考えてしまう。

 

これもまた生き方であると思っている。