感受性と人生の終わり

普段明るい内容のテレビしか見ないし、少しでも不快に感じる内容であればチャンネルを変えるようにしている。

 

それほどに自分にとって気分の良くない内容のものを排除し生きやすい生活を送っているているわけだが、

他者と生活している上では見たくないものでも見なければならず、勝手に不快な情報が入ってくることがある。

 

私は自分が感受性の高い生き物だとわかっているからそう生きているのに、他者は理解してくれない。

だとしてもそれは他者が悪いわけではなく、自衛できていない自分が悪いのである。

 

これが社会に生きるということなのであろう。

 

Twitterも自衛できない性格なのでやめてしまったし、実は何も刺激のない生活を望んでいるのかもしれない。

 

人に話すと理解してくれることがないため、結局踏ん切りが着かず今の生活をずっと続けているが、本当は一人でこっそりと田舎に行き住みたいと考えている。

 

その方が自分に向いている気がするのだ。

 

本題に入るが

今日テレビを見ていて90代の方が100歳まで生きたいと言っているシーンがあった。

 

私は人生は終わりが決まっているものだと頭では理解していても現在の自分の年齢とその人の年齢での感じ方の違い、

 

終わりをよりリアルに感じるその感じ。

 

なんかとても気分が悪くなってしまった。

 

現実から目を逸らしていてもここまで生きてこれたのに本当に不快な内容を私に突きつけないでくれと。

 

悩みがあるとしてもそれを人に打ち明けることによりその人が不快な気持ちになるかもしれないことをなぜ考えれないのか。

 

感受性が豊かであることで得したことなどないし、本当に元気の出ないことばかりだ。