無能か有能かどうかという話は外的要因で変化する場合がある。
才能があるかどうかは生まれや育ってきた環境が影響することが多いが、無能か有能かの話をするならばいかにその役を演じれるかどうかにかかっている。
反感を買う可能性があるため具体的すぎる例を挙げることはないが、無能であっても有能である人間がラジコンのように操作することで、有能なように社会的に見せることは可能であり、それを結果として社会に浸透させることは容易である。
無能であるかどうかは、一概にその人だけの問題でもない。
島田紳助さんがおバカタレントや一発芸人を上手く扱いあれだけ話題に出来ていたことからも分かるだろう。
自分が有能でないと分かったならば、有能であるやつの言うことをきっちり聞ける人間になる。
これが上手く生きる方法ではないかと思う。
できる人間は少ない、プライドが邪魔するからだ。
これができるのもまた才能なのかもしれない。